離婚じゃなくて卒婚
離婚という言葉はなぜか自分自信の中でしっくりきません。
赤の他人が出会い、恋愛を経てそして結婚をする。
結婚生活をおくるなかで様々な出来事があり、嬉しいこと、感動したこと、喧嘩があり、すれ違いの日々、もあった。
いつしか、お互いの未来予想図の中には、お互いの存在がない。
お互いが、悩み、苦しみ出した結論は、別々の人生を歩むという選択。
そこには、後悔や憎しみは殆ど存在しない。
なぜなら、二人の他人が一つ屋根の下で生活をはじめ、二人でできる限りのことをした結果が、それぞれ別の人生を歩むということ。
お互いに20代の頃の心ままでは、年を取れなかったのです。
お互い次に進みたいという前向きな感情。
本当に結婚を卒業するという感じです。
確かに思い出が無くなるというか、寂しい部分もあるけど、お互い一緒にいる苦痛から開放される安堵感もあります。
私が家を出る当日、いつもと何も変わりは、ありませんでした。
そこには、涙も、別れの言葉も特にありません。
いつも出掛けるときとなに一つ変わりありませんでした。
それは、それで我が家らしいと感じました。
これで良かったのか、悪かったのか?
正直何ともいえなかったです。
当日中に引っ越しを終え、次の日からは、仕事のスケジュールがぎっしりです。
正直、卒婚にひたる余裕はありませんでした。
ただひとつ言えることは、仕事とプライベート(家族)のバランスを上手く取れなかったのも事実です。
日本の出生率が毎年さがり、新生児の数も100万人を下回っているとニュースになっています。
結婚しない若者が多いという現実。
結婚しても子供をつくらない、子供を産んでも1人だけという家族が多いそうです。
それだけ、生活が大変で先が見えない経済状況なのもも確か。
国も、総理大臣が「これからサラリーマンも副業できる社会にしましょう」と声明まで出しています。
昭和の時代から続いてきていた日本人の生活スタイルも分岐点にさしかかっているように感じます。
企業も終身雇用、年功序列の体制を変えつつあります。
そうしないと生き残れないところまで来ている企業もこれから増えていくのでしょう。
これからは、結婚も、働き方も、大きく変わって行くような予感があります。
なにが正しくて、なにが間違いなのか?
今までと違った価値観で考える必要があります。