Alone ひとりで考える時間

不器用でちょっとおバカなエロおやじのブログ

初恋はコマネチ

私の初恋はコマネチ

私の初恋は、もう数十年前にオリンピックで活躍したコマネチ(Comaneci Nadia ルーマニアでは日本と同じでファミリーネームが最初です。)さんでした。

 

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初めてテレビでコマネチを見たのは、今からもう数十年前になります。

当時のことは、今でもハッキリと覚えています。

ものすごいインパクトでしたね。

 

おぉぉぉっと思いました。

言葉では、言い表せない衝撃が体中を駆け抜けました。

 

 初恋というとちょっと大袈裟ですけどね。

 

女性感が変わる出来事でした

私のなかで、外国人でしかも欧米人の存在をはじめて意識する瞬間でもありました。

(このときはまだ、20年後にルーマニア人と不倫をするなんて夢にも思っていませんでしたけど。いつか記事にしたいと思ってます。)

 いま思うとテレビでコマネチを見てからしばらくは、頭の中が彼女のことでイッパイでしたね。

授業中に窓から見える空や雲をみながら、「コマネチみたいな娘がクラスにいたらいいなぁー」なんて考えていました。

 そういえば、このころ先生にもよく怒られていましたね。

「外ばかり見てるんじゃない!!」って。

もちろん、勉強は大嫌いだったせいもありますけど。

 自分の中で処理できない出来事だったので、子供ながらに一生懸命どう対処すればいいか本能的に模索していました。

 そして月日が流れ、中学生になる頃には、もうコマネチのことは、すっかり忘れていました。

ビートたけしのギャグ「コマネチ」が流行りましたけど、同世代の女の子に興味がいっていたのであまり気になりませんでした。

 

ルーマニア人が見たコマネチ

日本人から見たコマネチは、カワイイ、綺麗など評判はかなり良いです、ヤフーのオークションを見てみると現在でも当時のコマネチのポスターなどが出品されています。

しかし、同じルーマニア人から見たコマネチの評判は、私達日本人とは、少し違うようです。

 ルーマニアの友人にコマネチのことを聞くと必ずしも良い評判ばかりではないのが驚きです。

なかには、かわいそう、ずるいという意見もありました。

何がかわいそうかというと、当時独裁者であったチャウセスク一族からかなり酷い扱いを受けていたようです。

 真実は定かではないので文章にはしたくないですけど、いろいろなルーマニア人に聞いても大体において同じことをいいます。

 

アメリカへ亡命

ルーマニア革命が起こる前に、コマネチはアメリカへ亡命します。

私は当時アメリカの工作員などが絡んでいたのかと思っていましたが、実際にはそうではありませんでした。

当時のルーマニアでは亡命者はその場で射殺されるか、逮捕後投獄される状況にありました。

しかし、コマネチは、亡命を決行しました。

コマネチは、一般のルーマニア人数名と一緒に、11月の寒い夜にハンガリーとの国境近くの村からハンガリーに不法入国しました。

その後ハンガリーの警察に保護されます。しかし最終目的地はアメリであるため、今度はハンガリーからオーストリアへ国境の鉄条網を乗り越えオーストリアへ入り、すぐにオーストリアにあるアメリカ大使館に保護を求めます。

アメリカ大使館は、保護を求めた人物があのコマネチであることが確認できると、その2時間後にパン・アメリカンのファーストクラスでコマネチをアメリカに移送しました。

亡命を希望してきた人物が、あのコマネチだというのもあると思いますが、さすがアメリカです、物凄い対応の早さです。

移送もファーストクラスを用意し、機内食ではシャンパがでたそうです。いかにもアメリカらしいもてなしでカッコ良すぎます。

 亡命を求めるコマネチを保護してから2時間後に自国行きの飛行機に乗せ、10時間後には、アメリカ本土への移送を終えました。

 

亡命後の記者会見で「なぜ、アメリカに亡命したのか?」の質問に対し、笑顔で「自由が欲しかったから」と回答したコマネチが印象的でした。